そう、うたうならば、野菜や米や大豆だけでなく、
やはり肉も自給しないと!そして、「いのちをいただく」という観点でみると
動物を自らの手にかけて、その命の重みを感じることは
必要なプロセスであるようにも感じます。
この単純な思いから、鳥解体講座を企画しました。
村内に折よく、老鶏を処理したいという方がいたので
譲っていただくことができました。
写真が、廃鶏となる鶏。卵を十分産んでくれました。
集まった参加者は小川村をはじめ、長野市や白馬村からも申し込みがあり、約15人。
若い人を中心に関心の高さを感じました。「せっかくの機会だから、命をいただく意味を
考えてみたかった」との声もありました。
(以下、解体の様子をお伝えします。
中にはインパクトの強い写真もあるため、血などが苦手な人はご注意ください。)
はじめに、鳥解体経験の豊富な村内のベテランから、解体の手順を聞きます。
みな、緊張の様子です。
最初の作業は、鶏の頭を落として、血抜きです。思いのほか、鶏が元気で、押さえつけるのも大変。一人が押さえて、もう一人が、包丁でズバッと首を落とします。骨が硬く、なかなか難しい。手間取っていると、鶏が暴れ、血も噴き出すため、簡単にはいきません。
女性の参加者も含め、全員が果敢にも挑戦しました。命のぬくもりを自らの手で奪う瞬間を心に刻みます。
首を落とした鶏は、血抜きのため、逆さにつるしておきます。
しばらく置いて血が抜けた鶏を、熱湯につけます。
こうすることで、毛が抜けやすくなります。
しっかりお湯にさらさないと、なかなか抜けてくれません。
毛が抜けた鶏は御覧の通り。肉屋で見かける鳥肉の姿に
近づいてきました。そこから、カッターを使って部位ごとに切り分けます。
みな無我夢中で、解体に臨みます。
内臓を取り出して、もも肉、手羽先などに
切り分けていきます。
見事、各部位ごとに切り分けられました。
焼き鳥屋さんを始められそうですね。
加工した肉は、BBQや焼き鳥スタイルでいただきます。
串にさすと、様になります。雰囲気はすっかり焼き鳥屋!
調理した鶏肉は、みんなで昼食としていただきました。
老鶏なので、ちょっと歯ごたえありでしたが、噛みしめるほど味がある力強い肉でした。
参加した30代の女性は「ずっと鶏をさばいてみたかったので、さばけて良かった」と話しました。
また20代の男性は「命をいただく重みを感じました。自分の手で殺生するのはこれが最後でいいです」と真剣な面持ちで話しました。
参加者それぞれに思うところがあったようですが、普段自分たちが口にしている食肉がどのような過程を経て、食卓に届けられているのか、その一端を感じる機会となったのなら何よりです。命を分け与えてくれた鶏たちに感謝して、日々の食卓に向き合っていきたいものです。