2022年9月1日木曜日
45th BD with my most favorite beer1923年9月1日 関東大震災
1935年9月1日 小澤征爾さんの誕生
1939年9月1日 ドイツ軍ポーランド侵攻
1977年9月1日 中村雄弥誕生
と、どうでもいい年表を作ってしまいましたが、本日2022年9月1日で45歳になりました。お祝いメッセージいただいたみなさん、ありがとうございます。こういう投稿すると、お祝い催促しているみたいで本意ではないのですが(気にせずスルーしてください)、毎年、正月と誕生日の節目には、自分の今後の生き方について考えるようにしているので、今日もちょっと、お目汚しではありますが、備忘録的にまとめておきます。
45歳、いよいよ四捨五入すると50歳!アラフィフです。正真正銘の中年。青年海外協力隊も遠くになりにけりです。この年になって率直に思うのは、体は老いても、頭(思考)は意外と若いままだということ。だから、おじさんが勘違いして、若い子にモテると思ってアプローチしてしまったりするんでしょうね。いや、その感覚、とてもよく分かります。気を抜くと、自分が20代のころと大して変わっていないように錯覚してしまったり。しかし、鏡の中に白髪のオヤジを見つけると、現実を再認識。特に悲しくはないけれど、人はこうやって老いていくのだなと、実に興味深く観察しております。
体の疲れが抜けにくくなったのは、40代に入ったころからずっとそうなので、今更特に気になりません。単純に不摂生で体が重くなったけれど、体力自体はそこまで劇的には落ちてはいない。ただ、もっとも変化を感じているのが「目」です。視力じゃなくて、持久力!?朝は元気だった目も、一日働いたあとの夕方にはショボショボして、焦点を合わすのが少々辛くなる。車の運転は一番露骨で、夜通し走るなんてとても無理。日中はいいけど、夜の運転は段々、目が疲れるようになりました。イチローがかつて「動体視力が真っ先に衰える」と話していたこと、共感します。人間って、目から衰えるんですね。まさに目からウロコ・・・。
そして、先日も投稿した耳鳴り。詳細は割愛。あとは頭痛したり、めまいがしたり。人間って、普通に生きているだけで大変なことですね。年を経るごとに、若いころ当たり前だったことが、実は当たり前ではないことに気づかされます。
こうやって、体のあちこちに老化の兆候が出てくると、45歳あたりは、人生の下り坂の始まりなんだなと痛感します。もちろん、まだまだ人生上り調子で、バリバリやっている人、体も若いころと変わらず動く人も多いと思いますが、自分の場合は、人生の終わりを少しずつ意識するようになりました。すぐに、死ぬことは(たぶん)無いと思いますが、子どもらが少しずつ大きくなり、時代の中心に躍り出ていくのを見ていると、世代交代というか、自分たちは後半戦の下り坂において、人生で為すべきことをまとめ上げていくタイミングにさしかかっているのだと感じます。
村の中で、そんな話をすると「まだまだ若い!」と叱咤激励されますが、やりたいことに精力的に取り組める年齢という意味では、それほど時間は残されていない気がします。45歳から55歳、自分の中では、これからの10年が正念場と思っています。パチョコやだいずの楽校のこともそうだし、子育ても一番刺激的でダイナミックなタイミング、地域社会で果たすべき役割も多くなりそう・・・。衰え行く体と頭に悩みながらも、残された時間を無駄にしないよう、優先順位を間違えないようにして、取り組んでいきたいですね。具体的なことはあまり書けませんが、無理せず、マイペースで歩んでいきたいものです。
そんな中、最近、自分が強く意識するようになったのが「人類史」です。今自分が、立っている場所は人類史におけるどのような場所で、今後、人類はどのようにすすんでいくのだろうかと。その大きな流れの中で、小川村にいる自分はどのように思考し、選択し、生きようとするのか。ただ単に自給自足的な農村生活に回帰するだけでなく、進歩するテクノロジーとどう折り合いをつけ、何に注力し、どう生きるのか?文化人類学的な思考に、大学卒業後20数年を経て、興味関心が回帰しつつあります。宇宙への移住も気になる。そんなことを意識しつつ、村暮らしを続けていきます。
目指すところは、70代になっても白馬から小川村まで当たり前のように走ってきて、ビール飲んで休憩してからまた走って帰るような山の先輩や、80代になってもザックを背負ってマウンテンバイクで颯爽と走っていたロバートチェンバース先生や、90代になっても「貧乏暇なし」とつぶやきつつ、農作業を軽々こなす村のじいちゃんたちです。とにかく、頭でっかちになりすぎず、体を動かし続けて、ほどほど頭も使ったら、あとは自然の流れに身をまかす。そんな風にして、今後の中年、老年ライフを過ごしていきたいものです。
耳鳴り妖怪たちの会話をBGMに、銀河高原ビールを楽しむ。自由になれた気がした、45の夜。
何はなくとも、それだけで充分。生きてることに感謝です。
とりとめのない話を、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。夜更かししてしまった。おじさんはもう寝ます。お休みなさい
了
2022年6月22日水曜日
パチョコ3周年に寄せて
【パチョコ3周年に寄せて】
2019年の夏至に開業した「だいず食堂パチョコ」ですが、本日6月22日をもちまして3周年を迎えることができました。これまでご来店いただいた皆さん、応援してくださった皆さんのおかげです。ありがとうございます。
店のSNSにも書きましたが、一般に飲食店の3年生存率は3割ほどと言われています。コロナ禍はじめトラブル続きのこの数年、家族4人が辛うじて店の収益だけで生きていけているのは、本当にありがたいことです。
小川村にやって来るとき、「これからは地に足のついた生き方をしたい」と思っていました。そのときイメージしていたのは、農ある暮らし、というか自給自足に近い形で、自分が食べるものを自分で作り、自らの労=得られる糧というシンプルな図式を可視化することでした。かつて会社勤めをしていた頃、自分の具体的な労働量と得られる対価のギャップに困惑することがありました。端的にいえば、大して働いている実感はないのに、思った以上の報酬を得られる、ような感じ。それ自体、普通に考えれば忌避するようなことではありませんが、20代の青かった自分は、大きな違和感を覚えました。自分の労働と対価に直接的なつながりが見いだせず、たとえ手応えの無い仕事をしても、毎月振り込まれる給与。それなりの店でそれなりのご飯を食べ、それなりのワインを飲んでもおつりが来る生活。楽しいは楽しいけど、どこか浮足立った感覚。どこにも根を下ろせていないような不安定感。たぶんそれは、自分の仕事が具体的にどのような付加価値を産み、どのように貨幣換算されているのか、誰の役に立っているのか、本当の意味では知らなかったからだと思います。そもそも、自分の仕事が本当に価値を生んでいるのか、疑問に感じることも少なくありませんでした。
一方、現在、自分が日々取り組んでいることは非常にシンプルです。自分で育てた大豆(仕入れている大豆も使っています)を、自分で加工・調理して、顔の見えるお客さんに提供し、食べてもらい、対価として貨幣を受け取る。これだけです。自分と妻二人のマンパワーしかないので、作れるものに限界はあるし、どれだけがんばっても収益は頭打ち。大して稼げないし、一般社会における給与水準からみれば相当低い部類に入ると自信をもって言えます(笑)。ただ、だからこそ、嘘が無い。働いた分しか稼げないし、自分が作ったものしか売ることができない。売り先の顔も見えているので、自分の労働がどのように消費・活用されるのか、見届けることができる。やってみて初めて知ったのですが、これが非常に精神的に心地よい。働ければ稼げるし、働かなければ稼げない。ごく当たり前の論理ですが、会社員時代は、そのことを真の意味では理解できていなかった。「地に足のついた生き方」って様々な解釈があるでしょうが、自分にとっては、生計手段にブラックボックスが入り込まず、人と人の顔が見えるつながり中心で構成されていることが重要な要素であるように思います。
もちろん農業革命、産業革命、IT革命などによって、人間の生産性が加速度的に向上し、高度かつ利便性の高い社会が構築され、その恩恵を自分も存分に受けている事実は否定しようがありません。おかげで、こういったSNSなど便利な仕組みを、自分のような田舎居住者も安価に利用できるわけです。ただ、どのような生き方が自分に合っているのか、と考えたときに、レバレッジの利いていない、一人の人間が一人の人間としてやれる労力を単純に提供するだけの、パチョコみたいな仕事は、自分に合っていたんだなと、思わされることが多いです。我が家の稼ぎは、おやじが作ったニャマや弁当、母ちゃんが作ったスイーツやあんパン。その100円、200円が日々積み重なって、なんとか生活を回している。自分たちの稼ぎは、村のお友達や先輩、観光に来たお客さんが分け与えてくれた、糧の集積。日々の仕事は大変だし、ちょっと疲れることもあるけれど、昔みたいに「この生き方でいいんだろうか?」と悩むことは少なくなりました。目の前の仕事に力を尽くし、お客さんに大豆の魅力を伝えたい。シンプルなやりとりを繰り返し、日々を紡ぐ。それで生計を立てられるなら、それに越したことはない。
だから、いつまでたっても大して稼げないし、子どもたちにバラ色の将来は約束できないけれど、こんな生き方もある。これで父ちゃんは結構楽しいし、やりがいはあるんだと、今は胸をはって伝えられるような気がします(母ちゃんにも聞いてみたいものです)。
そんなわけで、前段長くなりましたが、これからもパチョコパチョコ、大豆中心の日々は続いていくと思います。余談ですが、ちょっと前に放送されていたNHKの朝ドラ「カムカムエブリバデー」の中で、お母さんが焼いた回転焼き(大判焼き)を粗末に扱った娘に対して、普段温厚なお父さん(オダギリジョー)が「謝れ、お母ちゃんにも、回転焼きにも謝れ」と一喝する場面がありました。世間的にはあまり注目されなかったかもしれないこのシーンですが、自分の胸には深く刺さりました。長く家族の生活を支えてきてくれた回転焼きに対する、ジョーの想い。ものすごく共感しました。いつか、うちの息子や娘が大きくなって、「うちがニャマのお店だなんてみっともない。同級生に恥ずかしくて言えない!」などと言おうものなら、たぶんうちの母ちゃんが「謝れ、お父ちゃんにも、だいずニャマにも謝れ!」と一喝してくれると思います(たぶん)。そのときは、おやじも「ニャマがお前たちを育てたんだ。ニャマには感謝しろ」と小さくなった背中で、静かに語りたいと思います。これからもニャマ焼いて、ナゲット揚げて、一歩一歩地道に生きていきます。引き続き、パチョコをよろしくお願い致します!
※本日の新聞折り込みチラシを添付しておきます。カラーB4サイズのチラシ実物は店舗においてあるので、ほしい人は気軽にとりに来てください。