【パチョコ3周年に寄せて】
2019年の夏至に開業した「だいず食堂パチョコ」ですが、本日6月22日をもちまして3周年を迎えることができました。これまでご来店いただいた皆さん、応援してくださった皆さんのおかげです。ありがとうございます。
店のSNSにも書きましたが、一般に飲食店の3年生存率は3割ほどと言われています。コロナ禍はじめトラブル続きのこの数年、家族4人が辛うじて店の収益だけで生きていけているのは、本当にありがたいことです。
小川村にやって来るとき、「これからは地に足のついた生き方をしたい」と思っていました。そのときイメージしていたのは、農ある暮らし、というか自給自足に近い形で、自分が食べるものを自分で作り、自らの労=得られる糧というシンプルな図式を可視化することでした。かつて会社勤めをしていた頃、自分の具体的な労働量と得られる対価のギャップに困惑することがありました。端的にいえば、大して働いている実感はないのに、思った以上の報酬を得られる、ような感じ。それ自体、普通に考えれば忌避するようなことではありませんが、20代の青かった自分は、大きな違和感を覚えました。自分の労働と対価に直接的なつながりが見いだせず、たとえ手応えの無い仕事をしても、毎月振り込まれる給与。それなりの店でそれなりのご飯を食べ、それなりのワインを飲んでもおつりが来る生活。楽しいは楽しいけど、どこか浮足立った感覚。どこにも根を下ろせていないような不安定感。たぶんそれは、自分の仕事が具体的にどのような付加価値を産み、どのように貨幣換算されているのか、誰の役に立っているのか、本当の意味では知らなかったからだと思います。そもそも、自分の仕事が本当に価値を生んでいるのか、疑問に感じることも少なくありませんでした。
一方、現在、自分が日々取り組んでいることは非常にシンプルです。自分で育てた大豆(仕入れている大豆も使っています)を、自分で加工・調理して、顔の見えるお客さんに提供し、食べてもらい、対価として貨幣を受け取る。これだけです。自分と妻二人のマンパワーしかないので、作れるものに限界はあるし、どれだけがんばっても収益は頭打ち。大して稼げないし、一般社会における給与水準からみれば相当低い部類に入ると自信をもって言えます(笑)。ただ、だからこそ、嘘が無い。働いた分しか稼げないし、自分が作ったものしか売ることができない。売り先の顔も見えているので、自分の労働がどのように消費・活用されるのか、見届けることができる。やってみて初めて知ったのですが、これが非常に精神的に心地よい。働ければ稼げるし、働かなければ稼げない。ごく当たり前の論理ですが、会社員時代は、そのことを真の意味では理解できていなかった。「地に足のついた生き方」って様々な解釈があるでしょうが、自分にとっては、生計手段にブラックボックスが入り込まず、人と人の顔が見えるつながり中心で構成されていることが重要な要素であるように思います。
もちろん農業革命、産業革命、IT革命などによって、人間の生産性が加速度的に向上し、高度かつ利便性の高い社会が構築され、その恩恵を自分も存分に受けている事実は否定しようがありません。おかげで、こういったSNSなど便利な仕組みを、自分のような田舎居住者も安価に利用できるわけです。ただ、どのような生き方が自分に合っているのか、と考えたときに、レバレッジの利いていない、一人の人間が一人の人間としてやれる労力を単純に提供するだけの、パチョコみたいな仕事は、自分に合っていたんだなと、思わされることが多いです。我が家の稼ぎは、おやじが作ったニャマや弁当、母ちゃんが作ったスイーツやあんパン。その100円、200円が日々積み重なって、なんとか生活を回している。自分たちの稼ぎは、村のお友達や先輩、観光に来たお客さんが分け与えてくれた、糧の集積。日々の仕事は大変だし、ちょっと疲れることもあるけれど、昔みたいに「この生き方でいいんだろうか?」と悩むことは少なくなりました。目の前の仕事に力を尽くし、お客さんに大豆の魅力を伝えたい。シンプルなやりとりを繰り返し、日々を紡ぐ。それで生計を立てられるなら、それに越したことはない。
だから、いつまでたっても大して稼げないし、子どもたちにバラ色の将来は約束できないけれど、こんな生き方もある。これで父ちゃんは結構楽しいし、やりがいはあるんだと、今は胸をはって伝えられるような気がします(母ちゃんにも聞いてみたいものです)。
そんなわけで、前段長くなりましたが、これからもパチョコパチョコ、大豆中心の日々は続いていくと思います。余談ですが、ちょっと前に放送されていたNHKの朝ドラ「カムカムエブリバデー」の中で、お母さんが焼いた回転焼き(大判焼き)を粗末に扱った娘に対して、普段温厚なお父さん(オダギリジョー)が「謝れ、お母ちゃんにも、回転焼きにも謝れ」と一喝する場面がありました。世間的にはあまり注目されなかったかもしれないこのシーンですが、自分の胸には深く刺さりました。長く家族の生活を支えてきてくれた回転焼きに対する、ジョーの想い。ものすごく共感しました。いつか、うちの息子や娘が大きくなって、「うちがニャマのお店だなんてみっともない。同級生に恥ずかしくて言えない!」などと言おうものなら、たぶんうちの母ちゃんが「謝れ、お父ちゃんにも、だいずニャマにも謝れ!」と一喝してくれると思います(たぶん)。そのときは、おやじも「ニャマがお前たちを育てたんだ。ニャマには感謝しろ」と小さくなった背中で、静かに語りたいと思います。これからもニャマ焼いて、ナゲット揚げて、一歩一歩地道に生きていきます。引き続き、パチョコをよろしくお願い致します!
※本日の新聞折り込みチラシを添付しておきます。カラーB4サイズのチラシ実物は店舗においてあるので、ほしい人は気軽にとりに来てください。
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