2023年12月11日月曜日

 Went to see a lecture by an Arctic explorer やや前になりますが、松本市で開催された、探検家・作家角幡唯介さんの講演会を聞きに行ってきました。


小川村に居を移して8年、今や日々粛々と生活を紡ぐことが楽しみとなり、どこかに遠征したり、旅行に行ったりすることに強い関心を抱かなくなって久しい訳ですが、そんな中であっても著作が気になる数少ない探検系ノンフィクション作家の一人が角幡さんです。元新聞記者で同世代ということもあって、大半の著作には目を通しています。色んな意味で気になる人です。


というわけで、長野県で生講演が聴けるという千載一遇のチャンスを活かすべく、いざ松本へ。講演内容は、ツアンポー峡谷の話に始まり、極夜行を経て、現在進行形の北極漂白犬ぞり探検について。著作を読んでいるので、特に目新しい内容ではないのですが、やはり実際そこに生きている本人から直接話を聞くと、情報も瑞々しく、あらためて刺激を受けました。最近の本人の関心は、犬ぞりを使った極北における狩猟をしながらの漂泊にあるようで、狩猟に多少なり携わっている自分としては共感するところも多く。


講演後の質疑応答で、「どなたか質問がある人?」と聞かれた瞬間、最前列でババッと手を上げると、司会の人に「記者会見みたいですね笑」と苦笑されました。聞きたいことは結構あったのですが、とりあえず一番聞きたかったことを質問。「地球上に残された地図上の空白部(洞窟や海溝、ヒマラヤの峡谷など)は少なくなったとはいえ、まだあると思います。角幡さんはそう言った場所を探検することに今も関心はあるのですか?」。それに対し、本人は言葉を選びつつ以下のようにコメント。「地図上の空白部への興味関心が今は全くなくなったんですよ。地球上には未踏の地や登攀ルートなど探せばいくらでもあると思います。グリーンランドにも誰にも登られていない壁などいくらでもあります。でも正直、そこに行って(人類として)意味のある空白部ってあるのかな、と。今は違う方向に興味が向くようになりました。北極を狩りしながら漂泊して生きることの意味を考える。そういった方向に関心が移っています。空白部への欲求は、自分の中ではツアンポーで終わった気がします」と。この回答を聞き、自分は共感をするとともに、彼のような人にこそ、月や火星へ行って、ルポを書いてほしいなという気もしました。とりあえず、北極で犬ぞり生活がどうなるか今後も注視したいものです。

終了後、新刊の販売もしていたので、折角なので購入し、ついでにサインもいただきました。名前で書かれてもなんか恥ずかしいので、パチョコ名義で。ご本人「パチョコって一体何ですか?」と興味津々な様子でした。いつか北アルプス登山のついでに寄ってもらえたら何よりです。


余談ですが、これまでの人生で直接話を聞いてみたいと思う、生き方に刺激を受けた人(中でもノンフィクションを書いている人)は、以下のように変遷してきました。そこそこ直接会えたのは記者時代の役得もありますが、ラッキーだったのでしょう。(敬称略、〇が直接会えた人)

ユース時代⇒野田知祐(未)、本多勝一(未)、椎名誠〇
青年時代⇒石川直樹〇、野口健〇、山野井泰史〇、ロバートチェンバース〇、ジョンクラカワー(未)、沢木耕太郎(未)、星野道夫(未)
中年時代⇒服部文祥△、角幡唯介〇 

次は、日本人で初めて月に行った人に会ってみたいです。内省的なノンフィクションを読んでみたいなー。



2023年4月27日木曜日

audible で「汝、星のごとく」を読んだ

 本屋大賞をリアルタイムで読んだことは今まで一度もないけれど(大体数年後に読むくらい)audibleに入っていたので、聴いてみた。「汝、星のごとく」。そして完読(完聴)!

人生に行き詰まりを感じたり、何か立ち止まって考えたいときに文学は力になる、とあらためて思う。内容がリアルかと言われると、多少違和感もなくはないけれど、作品の持つストーリーテリングの力は素晴らしい。独房みたいな職場で缶詰になって働いていても(註:自分自身は、全然否定的にはとらえていません・・・)想像力の翼を広げて、どこへでも飛んでいける。単純作業(や移動時間)とオーディオブックの親和性は、かなり高いと思います。というわけで、YOUTUBE、ポッドキャスト、スポティファイ、など色々試した結果、自分がもっとも居心地よく作業できる相棒は「audible」であると、結論づけられそうです。それくらい毎日、本を「聴き」ながら作業しています。店が忙しくなると、頭を使う本は全く頭に入ってこないので無理ですが、早朝、閉店後など単純作業に取り組む時間帯は、本を聴くのに丁度よい。
ちなみに、これまで聴いた本の中で、特に印象に残ったのは
(順不同で)
・嫌われた監督
・朝日新聞政治部
・サピエンス全史
・山女日記
・野菜は小さい方を選びなさい
・職業としての小説家
・アウトプット大全
・あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」習慣
などです(統一感全くなし)。総数で言うと、この4-5倍は聴いていると思います。会話多めの、ノンフィクションや小説などが丁度いいかも。あまり込み入った内容の本や学術書は、字で見た方が頭に入って来そうです。当初は、「本を聴く」なんで無理では、と思いこんでいましたが、慣れてくると、意外と理解できる気がします。字で読む場合の70-80%くらいの消化度のような印象ですが、聴いてみて面白ければ、あらためて字で読むのもアリかと。上で紹介したような本は、オーディブルで聴いてなければ、多分手に取って読む時間もなかったと思います。なので、なかなか時間がとれない日常で、本と出会う機会を増やす意味で、オーディオブックは効果的に思います。
蛇足ですが、「嫌われた監督」すごい本ですね。ここ数年に読んだスポーツ系ノンフィクションの中では、一番のインパクトでした。こんな本を読むと、読書って、やっぱり自分の人生には不可欠な要素だな~とあらためて思います。(読んでないけど)

2023年3月27日月曜日

「夢みる小学校」を中野市で見た


 


went to Nakano city to watch the movie about Primary schools doing well in pupil-centred learning 

中野市で開催された映画「夢みる小学校」の上映会へ行ってきました。子ども二人が小学生となる今、自分にとって時宜を得た映画でした。


詳細は、映画そのものをぜひ見てほしいと思いますが、「体験学習」を軸に、児童主体の自由な学びを展開する小学校の紹介ドキュメンタリーとでもいいましょうか。南アルプス子どもの村小中学校が中心ですが、長野の公立校で有名な伊那小も登場します。「子どものやりたいこと」を中心において、時間をかけてプロジェクトに取り組むこと、それそのものが生きた学びとなることを目指し、いわゆる国語、算数、社会などの教科学習はほとんど無く、あくまでプロジェクトを展開する中で、必要な知恵として国語や算数の要素を学んでいくという感じでしょうか。プロジェクトでは、子どもたちを中心に、和紙を作ったり、木造の小屋を作ったり、ヤギを飼ったり。授業の内容も子どもと大人で話し合って決めるという。


自分の子どもが普通の公立校に通っているので、どうしても自分側に引き付けて、比較しながら見てしまいます。映画一本見ただけでは、いわゆる教科学習(教科書に沿って、教室で、みんなで一斉に進める一般的な学習)との長短比較など、はっきりと断言できない部分もありますが、プロジェクト中心の学びは、子どもの主体性を引き出し、個々の関心に寄り添った展開につながるのであろうと想像されます。見ていて単純に思うのは、子どもにとってはドキドキワクワクの連続だろうな、ということ。こんな学校に一度通ってみたい(自分が。。。)



同校の校長先生(かとちゃんという方)が「とにかく学校は楽しいだけでいい。がんばらなくていい、というスタンス」「楽しいことを思いっきりできた子は、自分の好きな人生を大股で歩ける」と語っていたのが非常に印象的でした。

このあたりの考え方は、いわゆる冒険遊び場、プレーバークのスタンスにも似ているなと思います。苦行や我慢としての勉強でなく、楽しさ、好奇心、探求心というキーワードに彩られる学び。主体性、能動的な学びを引き出すのは間違いなく後者でしょう。自分は、いわゆる普通の小中学校で学び、高校で多少「自由」を標榜する学校に通いましたが、小中学校の授業で、ドキドキすることなんてあまりなかったような気が。。。楽しさやドキドキは放課後や休日ばかりで、学校はそれを求める場所ではなかったかと。ちなみに大学も似たような感じ(人生に必要なものは、ほぼ山と寮で学びました!断言できます笑) 



「知りたい」「学びたい」そんな内側からの好奇心を引き出してあげることこそ、大人や親が、子供に対してすべきことであるならば、現行の教育システムに、疑義を投げかける余地はたくさんあるでしょう。その意味で、この映画は良い刺激をくれました。子どもたちは引き続き、小川の小・中学校に通いますが、そこでの学びは大切にしつつ(親として、教育の在り方について、学校と対話する必要性もあるでしょう)、放課後や休日に、全く違う視点やアプローチでの学びを仕掛けることができるかもしれない。少なくとも、この映画をみて、自分が小川村で、子どもたちにしたいことのアイデアがたくさん出てきました。現状に何か足りないと思えば、その足りないと思うものを、自分たちで補う努力をすればよい。何でもかんでも、学校に任せ、丸投げするのは違うと思うし、それは全然面白くない。



というわけで、「夢みる小学校」見てよかった。未見であれば、学校の先生や、子を持つ親御さんには、特に見てほしいですね。こういった話、小川村でもどんどんしていきましょう。とりあえず、小学校に夢見ろ、という前に、まずは自分で夢みるオヤジでありたいと思います。描くべきは、ただの夢想ではなく、具体的な未来。未来のために、今ここで、やれることをやる。

来週から娘も小学一年生、楽しい時間が始まりそう!


2023年3月7日火曜日

消防団のポンプ操法大会って、意味があるのかと思っていた自分ですが・・・。

 



worked as a volunteer fire corps today 本日、地元地区内で火災があり、消防団員として消火作業に入りました。幸いにも、人的被害はなく、火災自体も最小限で延焼を食い止められたのが何よりでした。空気が乾燥し、火災が起きやすい季節なので皆様もお気をつけください。


本日、現場が自宅から近かったこともり、自分の運転する消防車(積載車)が本職の消防局員よりも先に現地につきました。(ご近所の方は、消防車よりも先に現地に駆け付け、消火栓を使った消火作業をすでに開始していました)そのため、まっさらな状態から初期消火にあたることになり、その際、非常に大事な気づきがあったので、以下に簡単に共有させてください(ニーズがあるのかは結構微妙ですが・・・)。

それは、消防団活動を語る際、一般に何かと批判の的にされがちな「ポンプ操法(練習)」の重要性です。よく知らない方のために、多少補足すると、全国各地の消防団にはポンプ操法大会という、防火水槽の水をエンジンポンプで汲み出して、連結したホースを使って消火する一連の作業の早さや正確さを競う、競技大会があるのです。出場する際、代表選手に過大な練習負担があることが社会的に問題視され、近年、議論の的となってきました。

実は、自分も去年と一昨年、小川村の消防団代表チームの一員として、北信地区のポンプ操法大会に出ることになっていました。結果的に、コロナ禍ゆえ、2年連続で大会自体が中止となり、大会に出ることはありませんでしたが、多少なりに練習には取り組みました。

実際、ポンプ操法大会の練習に参加してみると、ポンプの使い方や、ホースのつなぎ方など、勉強になる反面、ホースをボーリングみたいに転がしてのばしたり、伝令役がポンプとホースの筒先をわざわざ走って往復したり、「ほんとにこんなことが火事現場で役に立つのかな?」という疑問が、頭の片隅にこびりついたまま払拭されてはいませんでした。

ところが、本日、現場についてすぐに消防車からポンプを下ろして、防火水槽の前にもっていくと、そこから展開されたのはまさに「ポンプ操法」で練習したことそのもの。消防車に積んであるコイル状に巻かれた状態のホースをボーリングみたいに転がして、急いで延ばし(ここでうまく転がせないと、非常にタイムロスになる)、次々と連結し火元まで届いたら、筒先を抱えて、ひたすら走る。その距離60~80mほど。ホースが届いたら、今度はポンプを稼働させて、水を送らないといけないが、筒先からポンプが遠いので、声も届かず、結局、伝令役がまたまた走って「水を出して」と伝えないといけない。なので、また走る走る。行ったり来たり。走りながら思う。「これって、そのまんまポンプ操法でやってることじゃないですか」。

水を出したり、止めたり、そのたび、あっちこっち走って、その間に、各地の消防団&消防局員がかけつけ、ホースもどんどん増えて、あちこちから放水が開始される。

非常に当たり前にことではあるんですが、今日一番心に刺さったのは「ポンプ操法って無茶苦茶大事な練習なんだね!」という実感。練習負担ばかりに、頭がいって、肝心の練習の意味を真には理解していなかったんですね。たぶん。災害や火災などが起こった際、パニックに近い状況で、正しい動作を繰り出すには、何も考えなくても自動的に体が動くくらい、その一連の動作を染みつかせる必要があるのでしょう。過剰と思えるくらいポンプ操法の練習をすることで、いざというとき、最善のパフォーマンスを出すことができる。一瞬の遅れが、致命的な結果につながりうる、消防の現場では、こういった積み重ねが必要なのだと思います。まあ、シンクロナイズドスイミングみたいに、隊員間の動きを必要以上にシンクロさせたり、過剰にタイムを競ったりするのはどうかと思いますが、本質として、ポンプ操法でやっていることは大切なのだと、あらためて知りました。気づけて良かった。

災害は、いつ起きるか分からないからこそ、いつでも対応できるよう、日々鍛錬し、万全の備えをする必要がある。3月のこの時期だからこそ、心に刻みたいです。

もう一点、付け加えると、村で消防団活動をするようになり、「自分の住む地域を自分で守る」という気構えの大切さを日々感じています。行政サービスの弱い中山間地だからこそ、そこに住む人が自分の責任でできることは自ら取り組む。消防活動にそこに住む自分が参加するのは、考えてみればごく当たり前のこと。これもある種の自給自足です。

今日も、消防団員だけでなく、ご近所のみなさんが駆け付けて、率先して消火作業に取り組んでいました。行政やプロに何でも丸投げするのでなく、できることは自分たちでする。住民自治の矜持を見たように思います。

長くなりましたが、今日の火事現場では、自分が村で生きていく上で、大切な気づきがたくさんあったので、備忘録として書かせてもらいました。何はともあれ、みなさん、火事には気を付けて