2023年12月11日月曜日

 Went to see a lecture by an Arctic explorer やや前になりますが、松本市で開催された、探検家・作家角幡唯介さんの講演会を聞きに行ってきました。


小川村に居を移して8年、今や日々粛々と生活を紡ぐことが楽しみとなり、どこかに遠征したり、旅行に行ったりすることに強い関心を抱かなくなって久しい訳ですが、そんな中であっても著作が気になる数少ない探検系ノンフィクション作家の一人が角幡さんです。元新聞記者で同世代ということもあって、大半の著作には目を通しています。色んな意味で気になる人です。


というわけで、長野県で生講演が聴けるという千載一遇のチャンスを活かすべく、いざ松本へ。講演内容は、ツアンポー峡谷の話に始まり、極夜行を経て、現在進行形の北極漂白犬ぞり探検について。著作を読んでいるので、特に目新しい内容ではないのですが、やはり実際そこに生きている本人から直接話を聞くと、情報も瑞々しく、あらためて刺激を受けました。最近の本人の関心は、犬ぞりを使った極北における狩猟をしながらの漂泊にあるようで、狩猟に多少なり携わっている自分としては共感するところも多く。


講演後の質疑応答で、「どなたか質問がある人?」と聞かれた瞬間、最前列でババッと手を上げると、司会の人に「記者会見みたいですね笑」と苦笑されました。聞きたいことは結構あったのですが、とりあえず一番聞きたかったことを質問。「地球上に残された地図上の空白部(洞窟や海溝、ヒマラヤの峡谷など)は少なくなったとはいえ、まだあると思います。角幡さんはそう言った場所を探検することに今も関心はあるのですか?」。それに対し、本人は言葉を選びつつ以下のようにコメント。「地図上の空白部への興味関心が今は全くなくなったんですよ。地球上には未踏の地や登攀ルートなど探せばいくらでもあると思います。グリーンランドにも誰にも登られていない壁などいくらでもあります。でも正直、そこに行って(人類として)意味のある空白部ってあるのかな、と。今は違う方向に興味が向くようになりました。北極を狩りしながら漂泊して生きることの意味を考える。そういった方向に関心が移っています。空白部への欲求は、自分の中ではツアンポーで終わった気がします」と。この回答を聞き、自分は共感をするとともに、彼のような人にこそ、月や火星へ行って、ルポを書いてほしいなという気もしました。とりあえず、北極で犬ぞり生活がどうなるか今後も注視したいものです。

終了後、新刊の販売もしていたので、折角なので購入し、ついでにサインもいただきました。名前で書かれてもなんか恥ずかしいので、パチョコ名義で。ご本人「パチョコって一体何ですか?」と興味津々な様子でした。いつか北アルプス登山のついでに寄ってもらえたら何よりです。


余談ですが、これまでの人生で直接話を聞いてみたいと思う、生き方に刺激を受けた人(中でもノンフィクションを書いている人)は、以下のように変遷してきました。そこそこ直接会えたのは記者時代の役得もありますが、ラッキーだったのでしょう。(敬称略、〇が直接会えた人)

ユース時代⇒野田知祐(未)、本多勝一(未)、椎名誠〇
青年時代⇒石川直樹〇、野口健〇、山野井泰史〇、ロバートチェンバース〇、ジョンクラカワー(未)、沢木耕太郎(未)、星野道夫(未)
中年時代⇒服部文祥△、角幡唯介〇 

次は、日本人で初めて月に行った人に会ってみたいです。内省的なノンフィクションを読んでみたいなー。



2023年4月27日木曜日

audible で「汝、星のごとく」を読んだ

 本屋大賞をリアルタイムで読んだことは今まで一度もないけれど(大体数年後に読むくらい)audibleに入っていたので、聴いてみた。「汝、星のごとく」。そして完読(完聴)!

人生に行き詰まりを感じたり、何か立ち止まって考えたいときに文学は力になる、とあらためて思う。内容がリアルかと言われると、多少違和感もなくはないけれど、作品の持つストーリーテリングの力は素晴らしい。独房みたいな職場で缶詰になって働いていても(註:自分自身は、全然否定的にはとらえていません・・・)想像力の翼を広げて、どこへでも飛んでいける。単純作業(や移動時間)とオーディオブックの親和性は、かなり高いと思います。というわけで、YOUTUBE、ポッドキャスト、スポティファイ、など色々試した結果、自分がもっとも居心地よく作業できる相棒は「audible」であると、結論づけられそうです。それくらい毎日、本を「聴き」ながら作業しています。店が忙しくなると、頭を使う本は全く頭に入ってこないので無理ですが、早朝、閉店後など単純作業に取り組む時間帯は、本を聴くのに丁度よい。
ちなみに、これまで聴いた本の中で、特に印象に残ったのは
(順不同で)
・嫌われた監督
・朝日新聞政治部
・サピエンス全史
・山女日記
・野菜は小さい方を選びなさい
・職業としての小説家
・アウトプット大全
・あなたとSDGsをつなぐ「世界を正しく見る」習慣
などです(統一感全くなし)。総数で言うと、この4-5倍は聴いていると思います。会話多めの、ノンフィクションや小説などが丁度いいかも。あまり込み入った内容の本や学術書は、字で見た方が頭に入って来そうです。当初は、「本を聴く」なんで無理では、と思いこんでいましたが、慣れてくると、意外と理解できる気がします。字で読む場合の70-80%くらいの消化度のような印象ですが、聴いてみて面白ければ、あらためて字で読むのもアリかと。上で紹介したような本は、オーディブルで聴いてなければ、多分手に取って読む時間もなかったと思います。なので、なかなか時間がとれない日常で、本と出会う機会を増やす意味で、オーディオブックは効果的に思います。
蛇足ですが、「嫌われた監督」すごい本ですね。ここ数年に読んだスポーツ系ノンフィクションの中では、一番のインパクトでした。こんな本を読むと、読書って、やっぱり自分の人生には不可欠な要素だな~とあらためて思います。(読んでないけど)

2023年3月27日月曜日

「夢みる小学校」を中野市で見た


 


went to Nakano city to watch the movie about Primary schools doing well in pupil-centred learning 

中野市で開催された映画「夢みる小学校」の上映会へ行ってきました。子ども二人が小学生となる今、自分にとって時宜を得た映画でした。


詳細は、映画そのものをぜひ見てほしいと思いますが、「体験学習」を軸に、児童主体の自由な学びを展開する小学校の紹介ドキュメンタリーとでもいいましょうか。南アルプス子どもの村小中学校が中心ですが、長野の公立校で有名な伊那小も登場します。「子どものやりたいこと」を中心において、時間をかけてプロジェクトに取り組むこと、それそのものが生きた学びとなることを目指し、いわゆる国語、算数、社会などの教科学習はほとんど無く、あくまでプロジェクトを展開する中で、必要な知恵として国語や算数の要素を学んでいくという感じでしょうか。プロジェクトでは、子どもたちを中心に、和紙を作ったり、木造の小屋を作ったり、ヤギを飼ったり。授業の内容も子どもと大人で話し合って決めるという。


自分の子どもが普通の公立校に通っているので、どうしても自分側に引き付けて、比較しながら見てしまいます。映画一本見ただけでは、いわゆる教科学習(教科書に沿って、教室で、みんなで一斉に進める一般的な学習)との長短比較など、はっきりと断言できない部分もありますが、プロジェクト中心の学びは、子どもの主体性を引き出し、個々の関心に寄り添った展開につながるのであろうと想像されます。見ていて単純に思うのは、子どもにとってはドキドキワクワクの連続だろうな、ということ。こんな学校に一度通ってみたい(自分が。。。)



同校の校長先生(かとちゃんという方)が「とにかく学校は楽しいだけでいい。がんばらなくていい、というスタンス」「楽しいことを思いっきりできた子は、自分の好きな人生を大股で歩ける」と語っていたのが非常に印象的でした。

このあたりの考え方は、いわゆる冒険遊び場、プレーバークのスタンスにも似ているなと思います。苦行や我慢としての勉強でなく、楽しさ、好奇心、探求心というキーワードに彩られる学び。主体性、能動的な学びを引き出すのは間違いなく後者でしょう。自分は、いわゆる普通の小中学校で学び、高校で多少「自由」を標榜する学校に通いましたが、小中学校の授業で、ドキドキすることなんてあまりなかったような気が。。。楽しさやドキドキは放課後や休日ばかりで、学校はそれを求める場所ではなかったかと。ちなみに大学も似たような感じ(人生に必要なものは、ほぼ山と寮で学びました!断言できます笑) 



「知りたい」「学びたい」そんな内側からの好奇心を引き出してあげることこそ、大人や親が、子供に対してすべきことであるならば、現行の教育システムに、疑義を投げかける余地はたくさんあるでしょう。その意味で、この映画は良い刺激をくれました。子どもたちは引き続き、小川の小・中学校に通いますが、そこでの学びは大切にしつつ(親として、教育の在り方について、学校と対話する必要性もあるでしょう)、放課後や休日に、全く違う視点やアプローチでの学びを仕掛けることができるかもしれない。少なくとも、この映画をみて、自分が小川村で、子どもたちにしたいことのアイデアがたくさん出てきました。現状に何か足りないと思えば、その足りないと思うものを、自分たちで補う努力をすればよい。何でもかんでも、学校に任せ、丸投げするのは違うと思うし、それは全然面白くない。



というわけで、「夢みる小学校」見てよかった。未見であれば、学校の先生や、子を持つ親御さんには、特に見てほしいですね。こういった話、小川村でもどんどんしていきましょう。とりあえず、小学校に夢見ろ、という前に、まずは自分で夢みるオヤジでありたいと思います。描くべきは、ただの夢想ではなく、具体的な未来。未来のために、今ここで、やれることをやる。

来週から娘も小学一年生、楽しい時間が始まりそう!


2023年3月7日火曜日

消防団のポンプ操法大会って、意味があるのかと思っていた自分ですが・・・。

 



worked as a volunteer fire corps today 本日、地元地区内で火災があり、消防団員として消火作業に入りました。幸いにも、人的被害はなく、火災自体も最小限で延焼を食い止められたのが何よりでした。空気が乾燥し、火災が起きやすい季節なので皆様もお気をつけください。


本日、現場が自宅から近かったこともり、自分の運転する消防車(積載車)が本職の消防局員よりも先に現地につきました。(ご近所の方は、消防車よりも先に現地に駆け付け、消火栓を使った消火作業をすでに開始していました)そのため、まっさらな状態から初期消火にあたることになり、その際、非常に大事な気づきがあったので、以下に簡単に共有させてください(ニーズがあるのかは結構微妙ですが・・・)。

それは、消防団活動を語る際、一般に何かと批判の的にされがちな「ポンプ操法(練習)」の重要性です。よく知らない方のために、多少補足すると、全国各地の消防団にはポンプ操法大会という、防火水槽の水をエンジンポンプで汲み出して、連結したホースを使って消火する一連の作業の早さや正確さを競う、競技大会があるのです。出場する際、代表選手に過大な練習負担があることが社会的に問題視され、近年、議論の的となってきました。

実は、自分も去年と一昨年、小川村の消防団代表チームの一員として、北信地区のポンプ操法大会に出ることになっていました。結果的に、コロナ禍ゆえ、2年連続で大会自体が中止となり、大会に出ることはありませんでしたが、多少なりに練習には取り組みました。

実際、ポンプ操法大会の練習に参加してみると、ポンプの使い方や、ホースのつなぎ方など、勉強になる反面、ホースをボーリングみたいに転がしてのばしたり、伝令役がポンプとホースの筒先をわざわざ走って往復したり、「ほんとにこんなことが火事現場で役に立つのかな?」という疑問が、頭の片隅にこびりついたまま払拭されてはいませんでした。

ところが、本日、現場についてすぐに消防車からポンプを下ろして、防火水槽の前にもっていくと、そこから展開されたのはまさに「ポンプ操法」で練習したことそのもの。消防車に積んであるコイル状に巻かれた状態のホースをボーリングみたいに転がして、急いで延ばし(ここでうまく転がせないと、非常にタイムロスになる)、次々と連結し火元まで届いたら、筒先を抱えて、ひたすら走る。その距離60~80mほど。ホースが届いたら、今度はポンプを稼働させて、水を送らないといけないが、筒先からポンプが遠いので、声も届かず、結局、伝令役がまたまた走って「水を出して」と伝えないといけない。なので、また走る走る。行ったり来たり。走りながら思う。「これって、そのまんまポンプ操法でやってることじゃないですか」。

水を出したり、止めたり、そのたび、あっちこっち走って、その間に、各地の消防団&消防局員がかけつけ、ホースもどんどん増えて、あちこちから放水が開始される。

非常に当たり前にことではあるんですが、今日一番心に刺さったのは「ポンプ操法って無茶苦茶大事な練習なんだね!」という実感。練習負担ばかりに、頭がいって、肝心の練習の意味を真には理解していなかったんですね。たぶん。災害や火災などが起こった際、パニックに近い状況で、正しい動作を繰り出すには、何も考えなくても自動的に体が動くくらい、その一連の動作を染みつかせる必要があるのでしょう。過剰と思えるくらいポンプ操法の練習をすることで、いざというとき、最善のパフォーマンスを出すことができる。一瞬の遅れが、致命的な結果につながりうる、消防の現場では、こういった積み重ねが必要なのだと思います。まあ、シンクロナイズドスイミングみたいに、隊員間の動きを必要以上にシンクロさせたり、過剰にタイムを競ったりするのはどうかと思いますが、本質として、ポンプ操法でやっていることは大切なのだと、あらためて知りました。気づけて良かった。

災害は、いつ起きるか分からないからこそ、いつでも対応できるよう、日々鍛錬し、万全の備えをする必要がある。3月のこの時期だからこそ、心に刻みたいです。

もう一点、付け加えると、村で消防団活動をするようになり、「自分の住む地域を自分で守る」という気構えの大切さを日々感じています。行政サービスの弱い中山間地だからこそ、そこに住む人が自分の責任でできることは自ら取り組む。消防活動にそこに住む自分が参加するのは、考えてみればごく当たり前のこと。これもある種の自給自足です。

今日も、消防団員だけでなく、ご近所のみなさんが駆け付けて、率先して消火作業に取り組んでいました。行政やプロに何でも丸投げするのでなく、できることは自分たちでする。住民自治の矜持を見たように思います。

長くなりましたが、今日の火事現場では、自分が村で生きていく上で、大切な気づきがたくさんあったので、備忘録として書かせてもらいました。何はともあれ、みなさん、火事には気を付けて

2022年9月1日木曜日


 45th BD with my most favorite beer

1923年9月1日 関東大震災
1935年9月1日 小澤征爾さんの誕生
1939年9月1日 ドイツ軍ポーランド侵攻
1977年9月1日 中村雄弥誕生

と、どうでもいい年表を作ってしまいましたが、本日2022年9月1日で45歳になりました。お祝いメッセージいただいたみなさん、ありがとうございます。こういう投稿すると、お祝い催促しているみたいで本意ではないのですが(気にせずスルーしてください)、毎年、正月と誕生日の節目には、自分の今後の生き方について考えるようにしているので、今日もちょっと、お目汚しではありますが、備忘録的にまとめておきます。

45歳、いよいよ四捨五入すると50歳!アラフィフです。正真正銘の中年。青年海外協力隊も遠くになりにけりです。この年になって率直に思うのは、体は老いても、頭(思考)は意外と若いままだということ。だから、おじさんが勘違いして、若い子にモテると思ってアプローチしてしまったりするんでしょうね。いや、その感覚、とてもよく分かります。気を抜くと、自分が20代のころと大して変わっていないように錯覚してしまったり。しかし、鏡の中に白髪のオヤジを見つけると、現実を再認識。特に悲しくはないけれど、人はこうやって老いていくのだなと、実に興味深く観察しております。

体の疲れが抜けにくくなったのは、40代に入ったころからずっとそうなので、今更特に気になりません。単純に不摂生で体が重くなったけれど、体力自体はそこまで劇的には落ちてはいない。ただ、もっとも変化を感じているのが「目」です。視力じゃなくて、持久力!?朝は元気だった目も、一日働いたあとの夕方にはショボショボして、焦点を合わすのが少々辛くなる。車の運転は一番露骨で、夜通し走るなんてとても無理。日中はいいけど、夜の運転は段々、目が疲れるようになりました。イチローがかつて「動体視力が真っ先に衰える」と話していたこと、共感します。人間って、目から衰えるんですね。まさに目からウロコ・・・。

そして、先日も投稿した耳鳴り。詳細は割愛。あとは頭痛したり、めまいがしたり。人間って、普通に生きているだけで大変なことですね。年を経るごとに、若いころ当たり前だったことが、実は当たり前ではないことに気づかされます。

こうやって、体のあちこちに老化の兆候が出てくると、45歳あたりは、人生の下り坂の始まりなんだなと痛感します。もちろん、まだまだ人生上り調子で、バリバリやっている人、体も若いころと変わらず動く人も多いと思いますが、自分の場合は、人生の終わりを少しずつ意識するようになりました。すぐに、死ぬことは(たぶん)無いと思いますが、子どもらが少しずつ大きくなり、時代の中心に躍り出ていくのを見ていると、世代交代というか、自分たちは後半戦の下り坂において、人生で為すべきことをまとめ上げていくタイミングにさしかかっているのだと感じます。

村の中で、そんな話をすると「まだまだ若い!」と叱咤激励されますが、やりたいことに精力的に取り組める年齢という意味では、それほど時間は残されていない気がします。45歳から55歳、自分の中では、これからの10年が正念場と思っています。パチョコやだいずの楽校のこともそうだし、子育ても一番刺激的でダイナミックなタイミング、地域社会で果たすべき役割も多くなりそう・・・。衰え行く体と頭に悩みながらも、残された時間を無駄にしないよう、優先順位を間違えないようにして、取り組んでいきたいですね。具体的なことはあまり書けませんが、無理せず、マイペースで歩んでいきたいものです。

そんな中、最近、自分が強く意識するようになったのが「人類史」です。今自分が、立っている場所は人類史におけるどのような場所で、今後、人類はどのようにすすんでいくのだろうかと。その大きな流れの中で、小川村にいる自分はどのように思考し、選択し、生きようとするのか。ただ単に自給自足的な農村生活に回帰するだけでなく、進歩するテクノロジーとどう折り合いをつけ、何に注力し、どう生きるのか?文化人類学的な思考に、大学卒業後20数年を経て、興味関心が回帰しつつあります。宇宙への移住も気になる。そんなことを意識しつつ、村暮らしを続けていきます。

目指すところは、70代になっても白馬から小川村まで当たり前のように走ってきて、ビール飲んで休憩してからまた走って帰るような山の先輩や、80代になってもザックを背負ってマウンテンバイクで颯爽と走っていたロバートチェンバース先生や、90代になっても「貧乏暇なし」とつぶやきつつ、農作業を軽々こなす村のじいちゃんたちです。とにかく、頭でっかちになりすぎず、体を動かし続けて、ほどほど頭も使ったら、あとは自然の流れに身をまかす。そんな風にして、今後の中年、老年ライフを過ごしていきたいものです。

耳鳴り妖怪たちの会話をBGMに、銀河高原ビールを楽しむ。自由になれた気がした、45の夜。

何はなくとも、それだけで充分。生きてることに感謝です。
とりとめのない話を、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。夜更かししてしまった。おじさんはもう寝ます。お休みなさい




2022年6月22日水曜日

パチョコ3周年に寄せて

 

【パチョコ3周年に寄せて】



2019年の夏至に開業した「だいず食堂パチョコ」ですが、本日622日をもちまして3周年を迎えることができました。これまでご来店いただいた皆さん、応援してくださった皆さんのおかげです。ありがとうございます。

 

店のSNSにも書きましたが、一般に飲食店の3年生存率は3割ほどと言われています。コロナ禍はじめトラブル続きのこの数年、家族4人が辛うじて店の収益だけで生きていけているのは、本当にありがたいことです。

 

小川村にやって来るとき、「これからは地に足のついた生き方をしたい」と思っていました。そのときイメージしていたのは、農ある暮らし、というか自給自足に近い形で、自分が食べるものを自分で作り、自らの労=得られる糧というシンプルな図式を可視化することでした。かつて会社勤めをしていた頃、自分の具体的な労働量と得られる対価のギャップに困惑することがありました。端的にいえば、大して働いている実感はないのに、思った以上の報酬を得られる、ような感じ。それ自体、普通に考えれば忌避するようなことではありませんが、20代の青かった自分は、大きな違和感を覚えました。自分の労働と対価に直接的なつながりが見いだせず、たとえ手応えの無い仕事をしても、毎月振り込まれる給与。それなりの店でそれなりのご飯を食べ、それなりのワインを飲んでもおつりが来る生活。楽しいは楽しいけど、どこか浮足立った感覚。どこにも根を下ろせていないような不安定感。たぶんそれは、自分の仕事が具体的にどのような付加価値を産み、どのように貨幣換算されているのか、誰の役に立っているのか、本当の意味では知らなかったからだと思います。そもそも、自分の仕事が本当に価値を生んでいるのか、疑問に感じることも少なくありませんでした。

 

一方、現在、自分が日々取り組んでいることは非常にシンプルです。自分で育てた大豆(仕入れている大豆も使っています)を、自分で加工・調理して、顔の見えるお客さんに提供し、食べてもらい、対価として貨幣を受け取る。これだけです。自分と妻二人のマンパワーしかないので、作れるものに限界はあるし、どれだけがんばっても収益は頭打ち。大して稼げないし、一般社会における給与水準からみれば相当低い部類に入ると自信をもって言えます(笑)。ただ、だからこそ、嘘が無い。働いた分しか稼げないし、自分が作ったものしか売ることができない。売り先の顔も見えているので、自分の労働がどのように消費・活用されるのか、見届けることができる。やってみて初めて知ったのですが、これが非常に精神的に心地よい。働ければ稼げるし、働かなければ稼げない。ごく当たり前の論理ですが、会社員時代は、そのことを真の意味では理解できていなかった。「地に足のついた生き方」って様々な解釈があるでしょうが、自分にとっては、生計手段にブラックボックスが入り込まず、人と人の顔が見えるつながり中心で構成されていることが重要な要素であるように思います。

もちろん農業革命、産業革命、IT革命などによって、人間の生産性が加速度的に向上し、高度かつ利便性の高い社会が構築され、その恩恵を自分も存分に受けている事実は否定しようがありません。おかげで、こういったSNSなど便利な仕組みを、自分のような田舎居住者も安価に利用できるわけです。ただ、どのような生き方が自分に合っているのか、と考えたときに、レバレッジの利いていない、一人の人間が一人の人間としてやれる労力を単純に提供するだけの、パチョコみたいな仕事は、自分に合っていたんだなと、思わされることが多いです。我が家の稼ぎは、おやじが作ったニャマや弁当、母ちゃんが作ったスイーツやあんパン。その100円、200円が日々積み重なって、なんとか生活を回している。自分たちの稼ぎは、村のお友達や先輩、観光に来たお客さんが分け与えてくれた、糧の集積。日々の仕事は大変だし、ちょっと疲れることもあるけれど、昔みたいに「この生き方でいいんだろうか?」と悩むことは少なくなりました。目の前の仕事に力を尽くし、お客さんに大豆の魅力を伝えたい。シンプルなやりとりを繰り返し、日々を紡ぐ。それで生計を立てられるなら、それに越したことはない。

 

だから、いつまでたっても大して稼げないし、子どもたちにバラ色の将来は約束できないけれど、こんな生き方もある。これで父ちゃんは結構楽しいし、やりがいはあるんだと、今は胸をはって伝えられるような気がします(母ちゃんにも聞いてみたいものです)。

 

そんなわけで、前段長くなりましたが、これからもパチョコパチョコ、大豆中心の日々は続いていくと思います。余談ですが、ちょっと前に放送されていたNHKの朝ドラ「カムカムエブリバデー」の中で、お母さんが焼いた回転焼き(大判焼き)を粗末に扱った娘に対して、普段温厚なお父さん(オダギリジョー)が「謝れ、お母ちゃんにも、回転焼きにも謝れ」と一喝する場面がありました。世間的にはあまり注目されなかったかもしれないこのシーンですが、自分の胸には深く刺さりました。長く家族の生活を支えてきてくれた回転焼きに対する、ジョーの想い。ものすごく共感しました。いつか、うちの息子や娘が大きくなって、「うちがニャマのお店だなんてみっともない。同級生に恥ずかしくて言えない!」などと言おうものなら、たぶんうちの母ちゃんが「謝れ、お父ちゃんにも、だいずニャマにも謝れ!」と一喝してくれると思います(たぶん)。そのときは、おやじも「ニャマがお前たちを育てたんだ。ニャマには感謝しろ」と小さくなった背中で、静かに語りたいと思います。これからもニャマ焼いて、ナゲット揚げて、一歩一歩地道に生きていきます。引き続き、パチョコをよろしくお願い致します!

 

※本日の新聞折り込みチラシを添付しておきます。カラーB4サイズのチラシ実物は店舗においてあるので、ほしい人は気軽にとりに来てください。

2019年6月30日日曜日

だいず食堂パチョコオープン!



6月22日(土)「だいず食堂パチョコ」が、道の駅おがわにオープンしました。当日はたくさんの仲間たちが集まってくれました。ありがとうございます。



「だいずの新しい消費のカタチを提案する」をコンセプトに、
店では、だいずを使ったスナックやスイーツ、弁当などを販売していきます。


「パチョコ」は、アフリカ・マラウイ国の言葉で「小さい」「少し」といった意味を持ちます。小さな店からのスタートであることに加え、粒粒の豆のイメージにもつながります。また、パチョコパチョコと繰り返すと、「少しずつ」「ゆっくり行こうぜ!」的な意味にもなり、地道に積み重ねて進んでいきたい私たちのスタンスも表しています。


お近くにお越しの方、ぜひお立ち寄りください。月曜定休で、基本的に午前10時~午後5時の間、営業しています。今後ともよろしくお願いいたします。